内面観察

現状を打破するしかない。どう転んでも今よりも良い状況なのかもしれない。

精神的に磨耗してしまって、もうこのままでいられない。


A案とB案どちらを取るべきか。もはや現状維持はできないと知るべきだ。


どちらにせよ僕はその全体像が理解できないし、計画したところで実行するのは困難だ。


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『ブログやmixi日記の位置づけ あるいは誰のために書くのか』


日本には私小説があるように、赤裸々に自分について書くこともまた評価される・・・

だから恋人についてのろける人もいれば、自分がいかに憂鬱かについて書く人もあり、他人には意味の分からない日記を書く人もいる。


その一方で読み手を考えて(常識を踏まえて)書くべきだというのも無視できぬ意見であり、実際自己本位な文章は良くないと僕も思う。
(というのも、たまに自分の日記を読み返すと眩暈がするほど恥ずかしくなることがあるからなんだが)


・・・と、様々思ったあげくになるべく常識の範囲内で日記を書こうかと思うようになったわけではありますが、完全にそうするのは難しい。

こうして抽象的かつ暗示的に書くことに何の意味があるかと問われれば、他人にとって意味はない。

そもそも僕は自分のために日記を書いているからだ。

もちろんブログは人に公開するものだから、読み手を前提に書くべきだという意見には反論しがたいものがあるのだけれどもね。


それでも自分があえてこういうところに暗示的に自分の考えていることを書くのは、
たぶん「何かを書くこと」に加えて誰かの意見がもらえればもっとオトクかもしれない、
という貪欲さがあるのかもしれないなと思った。
(書いてある内容によって周囲の人々の評価は上下するから、むしろマイナスに作用している可能性は高いが)
(昔ブログを始めた頃には書くことに違う動機があって、あのどうしようもない憂鬱さを誰かに気づいて欲しかったのかもしれない)
(ちなみに憂鬱な時は書くと憂さ晴らしになるという効用がある・・・)


とにかく僕は心情を赤裸々に書くのが本来好きだ。

素朴で正直に生きるのが好きだからなのと、一人でじっくり考えないと自分が何を考えているか理解できないので、こうして書きながら自分の感情を理解する必要があるからかもしれない。


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でも、僕はこのまま流されていてはいけないと本当に覚悟する。


耐えようと思えばいくらでも我慢できないことはないであろうこの状況は、しかし破滅的に救いようもない。


最早遅すぎるのかもしれないが、とにかく、動くんだ。