あがくこと

闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう



という曲がありました。

実際そうだと思います。

努力する人間は、他人の努力を評価します。


努力する人間をあざ笑うのは、努力しない人間だけです。


彼らにはその努力の価値が分からないからです。

他人の視点を持っていないからです。



だから努力する人を笑う人間は、努力する人間に対して劣る。


なぜなら彼らに成長はないからです。主体的な変化を起こそうとしないから。


努力する人間に対し努力しない人間が劣化していくのは当然です。例えばもし兎であっても、昼寝していたら亀に追い抜かれる。



・・・そして恐ろしいのは、努力する人間を笑う人間には、自分の行為に対し自覚がないことです。


「努力する人間を馬鹿にするわけがない」
彼らはこう思っている。言葉と行動に整合性が取れないのは、首尾一貫した信条に基づいて行動していないからです。



僕たちは時おり自分の胸に手を置き、自分の行動は自分の信条に反していないか考えるべきです。自己矛盾した言動を取っていないか自問自答するべきです。
信念に悖る行為をあえてしなければならない時もあるでしょう。でもそれは悔しさを噛み締めながらする行動であるはずです。無自覚に、自分に恥ずべき行為をしてはいないか。



その時難しいのは、“行動しない”のも行動のうちだということです。取るべき行動を取らなかったのも駄目だからです。
そういう意味で今日は後悔した。