エリヰト

自分の欠点を把握するのは、大切なことだと思う。
でもそれをあんまりネガティブに捉えすぎるのは良くないよなー。冷静に、自分を把握して、長所を伸ばして短所を抑えていけばいいんだろうな。当たり前のこと言ってますね。とりあえず短所、欠点を直すのは後回しでいいんじゃないだろうか。長所を伸ばそうよ。そもそも短所だったら一杯上げられるけど、長所を見つけるのは難しいよなー。それを言ってくれる人も少ないんじゃないでしょうか。欠点はさ、自分ですぐ分かるけどさ。欠点を直そう直そうと思って、山を削って谷を埋めるように、皆が平坦な人間になったらどうよ?そんな世の中面白いですか?
まー開き直ってるようで謙虚でいようと思ってます。ダメ出し来いや!って話です。



結局自分は傲慢な差別主義者なんかなーと思いました。俺は何でも「○○主義者」呼ばわりする気はありませんが、そういうの結構好きよw


(こういうネガティブなことを書くのがそもそも良くないんだろうなー)




でもね。
エリート。エリートという言葉がある。
俺はエリートという言葉に否定的な感情を持たないし、自分がエリートたるべきだと思っている(と、書くとどれだけの人間が俺を腐った選民思想にかぶれた人間だと思うだろうか。この前も「勝ち組」「負け組」だったし・・・まぁ先日の勝ち負けの分け方には反対なんですが)



東大生は国民の税金を一年で600万円(?)は投入されている、と聞く。600だか900だか忘れたが、とにかくそういう金額だ。その東大生が「自分が東大で勉強して卒業したのは、勉強して入試に受かったからで、全部自分の努力の結果だ」なんて考えていたら、、、どうでしょうね?
そんで
「え〜東大生なの?すごい」とか言われた時に、
「いや東大なんて実際は全然すごくないよ」とか受け答えるのはどうなんでしょうか?いや、返答としてはそう返すしかないと思うよ。でも心の底からそう思ってるんじゃー、人々に申し訳なくないか。俺は自分の至らなさを愧じながらそう答えたい。


別に東大生だからどう、って話じゃないですけどね。
エリートというのは、身分や出自や学歴によらず、つまり自分に、なみの人間よりも多くの責務を課すというところにあるんでしょう。いわゆるノブレス・オブリージュです。そういう考え方は傲慢なんでしょうか。だから俺はその責務を自分に課す人でありたいし、そういう人を尊敬する。学歴に関わらずね。

ただ東大は特別な大学であるっていうのをもうちょっと東大生はわかった方が良いと思うな。国立大学に給付される税金1兆8000億円のうち、1800億、実に10%が東大のみに与えられているらしい。最近聞いた。その事実をどう考えますか?旧帝大と一橋、東工大で等分したら10%になるでしょう。でも国立大学って100か200くらいはあるんだよ?なぜ東大だけが1800億円も給付されているのか。もちろん学生に投資されている部分は少ないだろうけど、それは他の大学も一緒だろうしね。。だから東大生はそれを真剣に考えないといけないと思うんです。そんな漫然と生きていていいのかと。



日々の暮らしで、自分が生きていくのに精一杯な人々の代わりに全体のことを考える責務を託された人々、少なくとも自分にはその責務があると信ずる人々、それをエリートと呼ぶと俺は思う。



やっぱりそういう考え方は間違っていますかね?
この考え方自体は良いんだけど、俺はやっぱ肉体労働を軽視する傾向があるからな。。。昨日実家に帰ったら親に怒られたw
あー、ダメ人間だわ自分。




「すぐれた人間をなみの人間から区別するのは、すぐれた人間は自分に多くを求めるのに対し、なみの人間は、自分になにも求めず、自己のあり方にうぬぼれている点だ、(・・・)一般に信じられているのとは逆に、基本的に奉仕の生活を生きる者は選ばれた人間であって、大衆ではない。なにか卓越したものに奉仕するように生をつくりあげるのでなければ、かれにとって生は味気ないのである。(・・・)高貴さは、権利によってではなく、自己への要求と義務によって定義されるものである。高貴な身分は義務をともなう。」(オルテガ 『大衆の反逆』より)

ちゃんと読んだわけではないですw
内田樹の文章より。共感しました。
http://blog.tatsuru.com/archives/000892.php


賛否両論あるし、反感を持たれた方も多いと思います。
ご意見ご批判謙虚に受け止めたいと思いますので、よかったらコメントください。


あ、ところでこうエリートを定義したところで、今の自分がエリートであるとは微塵も思っていないです。そう自称できるくらいに、もっと責務を果たせる人間にならなければならない。