僕は容姿について考える

なんかハードだ。文系と理系、各1人しかフェローがいないなんて残酷だよ。ぎっちり予約で埋まっている。小論が二回、英語二回、数学二回という感じでしたか。しょっぱなの小論文で思ったが、まだまだイケるな俺。力は衰えたが小論文の直しくらいはお茶の子サイサイだ。自分で1から書けるかと言われればたぶん無理なんだが。

なぜ容姿の話なのかといえば、合宿時の恋バナからくるわけだ。あの時13人中12人相手に、容姿のレベルがセンター90%超えるなら(好みのタイプではなくても)対応を変えると断言した人がいて、今日の理系の先輩フェローがまさしくその人だったからだ。
今日のトップバッターは正統派で、色白でとびきり目の大きい可愛い子だった。こんなこと言っても誰かの反感を買うだけだと分かってはいるのだが、可愛い子の方が自分の中での評価が高くなってしまう。それに抗えない。まぁたぶん、誰だってそうだとは思うのだが。イケメンは裁判所で有罪判決が出る確率が低いって知ってますか?人の見た目の印象を聞かれると、容姿の整った人には「明るい」「誠実だ」などと肯定的な評価が多くなされると知っていますか?ツバメの雄の求愛は、その雄の左右の翼が対称かどうか、また大きいかどうかによって違うと知っていますか?なぜこのような違いがあって、ある程度の優劣が出てくるのだろうと僕は考える。もし世界を創った神が本当にいるなら、外見の優劣にも意味があるのか?不可知論者である僕には、問いを発することしかできない。自分に関しても努力するしかねーんかなぁという話。

9/10追記する。

もちろん容姿は人間の一要素でしかなく、それは大して重要な要素ではないことを述べておく。


そうそう、昨日の“熱中できること”に関する議論ですが、決して何かに熱中している人を否定しているわけではないと注意書きしておく。ただサークルの新歓期に思ったんだが、そりゃ1年以上続けている人なら、どんなことだって面白いと言うだろうさ、ってことで、やってる人の意見なんてまったくあてにならないってこと。自分がそれをやりたいかどうかなんて、まったく別の話だなぁと。あんまり煮つまらない話だったので少し補足しておく。