自戒のための雑文

(まるでいつもは雑文じゃないと言わんばかりにww)


久々に(第1回ぶりに)官僚たちの夏を観た。好きならちゃんと毎週見ろって話ですw
まあネットかレンタルで後で見ますよ。


最近先輩にお前器が小せえなーと言われて妙にショックを受けた。え、先輩はどんだけ器があるわけなんですか?という問いを封印しつつ、改めて考えてみた。


器が小さいというのは文脈上自分のことしか考えてないな、ということだった。

批判は常に耳が痛いが、傾聴に値するものもある。少なくとも検討する価値はあるものだ。


僕はいつしか「他人のため」を信じられなくなったので、仕事も自分の好きそうなこと、満足できそうなことで選んだ(理由については外部のブログに書いた)


・・・・まあ小さな人間だと批判されて然るべきだ。



官僚たちの夏は、日本中が同じ方向を向いていた、一種幸福な時代を描いたドラマだ。そちらの方角に努力していれば、報われると信じられた。世のため人のためになっていると信じられた。



今は何のために、何をするのか、それがやりたいことなのか、それが正しいのか、本当に役に立っているのか、など価値観を問われる時代になった。


世の中は複雑なので、1つの問題の解決が別の問題を生むこともある。人の行動に正解があるとしたら、自分の信念に沿った場合だけだ。




大人は自分の言動にすべて責任を持たなければならず、自分の信念があらゆる場面で問われるようになる。


それまでどんな生き方をしてきたのか?
そしてこれからどんな人生を送りたいのか?

自分の判断のprincipleは何なのか?

どういう人間だと思われたいのか?


確固たる理想の人間像がなくても、単にエゴイスティックなだけの人間になりたいと思ったことはなかったはずだ。他人からそう受け止められるのは自分の至らぬ点があったからで、自分の基本的なスタンスに改めなければならないことがあるんだと思う。


自戒のため記す。