人生の大半を移動に費やしている気がする

そんな気がします。今日も結構忙しかった。詳しくは今度書いてもう寝よう・・・。
今日は毛利さんの講演に行ってきたんだ。毛利衛さん。科学未来館の館長をなさっている。毛利さん自体は非常にすばらしい方だなぁと思ったのだが、何分主催が朝日新聞なので左翼臭がプンプンして俺は我慢ならなかった。やっぱ左翼は嫌いだな。研究者の女性比率が世界的に見ても日本は少ないけど、これをどうしますか?というような質問に、毛利さんはまず、データを見て日本の女性研究者は少ないから是正しようというのはおかしくて、日本には日本の背景があってこうなったんじゃないか。女性は家を守っているほうが、日本社会全体にとって有益である、という時代が長く続いたせいではないか。とまず言い、さらに、少子化が進んでいて、日本人が2050年(? 記憶がさだかでない。申し訳ない)には人口が半減してしまう計算で、これをかんがみると女性研究者を増やすよりも子供を産んでもらったほうがいいんじゃないか、と言った。とりあえず“子供を産んでもらったほうがいい”あたりはかなりいけないと俺も思うことは、ここに明記しておく。さらに毛利さんは、大切なのは社会全体がダメになるようでは、個人の職業選択など言っていられない、観点を変えろと言い、その後で、しかし私は、これからは女性を労働力として活用することが日本社会を活性化させる道だと思う、今そのような取り組みをしている。という話をした。
以上の内容は俺の能力不足でかなり分かりにくくなっているかなとも思うが、要するに毛利さんは女性の研究職が増えることに賛成だということである。

これに対する左翼学生の反応はこうであった。「要するに毛利さんは、“女性は家を守ってろ”という価値観なんですか?」この決めつけは何とかならないんだろうか。お前らちゃんと話聞いていたのか?大体、「女性は家を守るものだ」という意見に対する、無条件に悪だというレッテル貼りがまず気に入らないんだ。別に女性は家にいるべきだと言うわけじゃない。俺はそんなこと毛頭思ってない。ただ「それは良くない」ということを論ずることなしに、「それはいけないことだ」という前提をすりこもうとする態度が気に入らない。「女性は家庭を守るべきだ」という意見を持つこと自体は、何にも批判されるべきことではないはずだ。異なる意見を容認しない態度、それを全体主義という。