世のため人のため

久々に(第1回ぶりに)官僚たちの夏を観た。好きならちゃんと毎週見ろって話ですw
まあネットかレンタルで後で見ますよ。


最近先輩にお前器が小せえなーと言われて妙にショックを受けた。え、先輩はどんだけ器があるんですか?という問いを封印しつつ、改めて考えてみた。

器が小さいというのは文脈上自分のことしか考えてないな、ということだった。まあ本当のことなので、批判する先輩がどうかに関わらず自分に見直すべき点がある可能性が高いということだ。


いつから他人のためっていう主義主張を信じられなくなったのかよくわからなかったが、遡ると怖いので思考停止した。


経済学的には自分の利益を最大化することが、結果的に他人のためにもなると教えていたはずでは?自己の利益だけを考えることの何が悪いというのだろうか。


他人のため、という言葉と、実際の行動が矛盾する醜さが僕は嫌いで、それなら最初から自分のためだけに生きればいいじゃないかと思うようになった。


「他人のため」で、その実自分の評判や利益だけを気にしているような人間は多い。

そして僕は自分の行動が、「他人のため」と「自分のため」のどちらが主要因になっているのか見分けることができない。

どっちの比重が思いのか判断つかなくて、悩んでしまうならいっそやらなければいいのではないか、と。


それは自信がないからだと思う。自分の考えや、自分自身に自信を持てないから断言できないのだ。だから綺麗ごとを言う偽善者にならないために、偽悪的で利己的な態度を取るしかなくなっている面がある。


でもそもそも他人のために何かしようって気が薄いのかもしれない。高い志を持つ人間を冷笑するような態度が格好良いと思うような人間だっただろうか?そもそも他人のことに関心がないのかもしれない。


官僚たちの夏は、日本中が同じ方向を向いていた、一種幸福な時代を描いたドラマだ。そちらの方角に努力していれば、報われると信じられた。世のため人のためになっていると信じられた。


今は何のために、何をするのか、それがやりたいことなのか、それが正しいのか、本当に役に立っているのか、など価値観を問われる時代になったと思う。そして僕のような半端な人間は何も決められず、宙ぶらりんになっていたりするのだ。